立ち読みコーナー

初めてホームページを開いてくれた人に、少しでも分かって頂くためのコーナーです。私の本を読んで下さった読者の感想は、ほとんど次のような内容でまとまっています。

  • 読み出したら止まらず一気に読んでしまった。
  • すうーっと心の中に入って来て、とても読みやすかった。
  • 分かりやすくて、自分にも実行できそうなことばかり書いてあった。
  • 元気になれた。
  • 今まで通りで良かったんだと嬉しくなった。

理由は簡単です。 現場で起こった実話をそのまんま文章にしてあるだけだから読みやすいのです。また、私の性格も多分に影響していますので、複雑な表現は一切なく単純で明快な文章になっているはずです。全体に元気とリズムがいっぱいに詰まっていて、明るくてハツラツとした流れになっているでしょう。それに、現在子育て真っ最中の私ですから、お母さんたちには分かりやすくて読みやすいに決まっています。 さて、私の本をちょっぴり知って頂くため、少しばかりホームページ用に書きましたので読んでみて下さい。

『嘘に慣らすのも子育て』

今のところ講演でしか紹介していない話です。 私の母親はとても頭の回転が速い人でした。 私が小学五年の時、家族で東山動物園に行くことになりました。 岐阜県の山間部に住んでいた私たち親子にとって、 大都会にある動物園に行くのは大事(おおごと)でした。 母親は朝の四時ごろに起きておにぎりをいっぱい作り、 せっかちで田舎者丸出しの父親は家族を乗せて車を早朝六時に出したほどでした。 父親が田舎者なら私も当然田舎者です。 車が走り出して十キロも経たないうちに車に酔う始末。 岐阜県を出る前には何度も嘔吐してしまい、 ようやく動物園に着いた時には笑顔も元気も出なかったものでした。 ただ、げんきんなもので、 動物園を歩いているうちにすっかり気分もよくなって笑顔が出始めた頃でした。 ペンギンのいるプールに着いたのは。
「ああっ! ペンギンだ! かわいいなあっ!」
などと言ったかどうかは別にして、貧しい家庭で育った私は、 ペンギンの食べている物にすぐさま目を奪われました。 何と我が家では大晦日にしか食べられないホッケという魚を・・・ 人間の私でも年に一回しか食べられない高価な魚を、 ペンギンどもが何匹も何匹もパクパクと食べているではありませんか。
「ああーっ! 父ちゃん! あれ見て! ペンギンがいっぱいホッケ食べとる!  なあ、あれってホッケやろう?」
私は確かな答えがほしくて父親に求めました。
「・・・・・」
すると、私と同じようにショックだったのか、父親から何の返答もありませんでした。 徹底的に納得の行かなかった私は、すかさず母親に聞きました。
「母ちゃん、あれってホッケやろう?  百合子んたちが大晦日にしか食べれんホッケやろう?」
すると母親は落ち着き払って答えたのです。
「ああそうや。あれはホッケや。そやけどあのペンギンは皇帝ペンギンと言ってなあ、 ペンギンでも上等なペンギンなんや。 だからいい物を食べんとすぐに死んでしまうんや。 そやから動物園も仕方ないで、高いホッケを食べさせるしかないんや」
父親はそれを聞いても何も言いませんでしたから、 私はそのまんま「なんてわがままなペンギンなんや」という怒りに近い、 強烈な印象をペンギンに持って家路に着きました。

問題はその翌日です。

都会から帰った私という田舎者は、都会話を待ち望んでいた友達に自慢話です。 もちろん皇帝ペンギンの話から始めるのは決まったことでした。
「あんなあ、ペンギンの中でも皇帝ペンギンっていうペンギンだけは いい物食べんと死んでしまうんやと。 動物園で見たら、ホッケをパクパク食べとったで。 ペンギンのくせに生意気やと思わん?」
すると私の話をそのまま鵜呑みにした、私に決して引けを取らない田舎者の友達は、 目を思いっきりかち開いて、さも驚いたというような顔をして言いました。
「へええ! 皇帝ペンギンはホッケをいっぱい食べれるんか。 いいなあ・・一日ペンギンになりたいなあ・・」
母親の堂々たる嘘のおかげで、 当時の私は当たり前のような顔をして 鳥肌が立つような大嘘を平気で友達についていたことになります。

母親のついた嘘はこればっかりではありませんでした。 夏休みに毎年連続でつかれた嘘を紹介しましょう。

川へ泳ぎに行く前に小腹を空かせた私たちは、 裏の畑へ行ってはキュウリだのトマトだのとって食べては腹ごしらえをしていました。 しかし、母親は泳ぐ前に野菜を食べることで子どもたちはお腹を冷やしてしまい、 そのうえ川で泳いで身体を冷やせば体調を崩してしまうと心配していたのでしょう。 ただ、それを言ったって言うことを聞くような子どもではないと 母親はふんでいて、 とっておきの嘘をついて脅しをかけたのです。
「泳ぎに行く前にキュウリやトマトを食べると、 カッパが匂いを嗅ぎ付けて川底からさらいに来るぞ」
「深いとこへ行くと、カッパがウヨウヨおって、 足をひっぱられるぞ!!」
私は母親の一言で、泳ぎに行く前に畑で間食を摂ることをきっぱりと止めました。 そればかりか母親の嘘があまりにも強烈過ぎて、 川へ行くと大きな石をいくつも拾い抱えては岩の上に立ち、 泳ぐ前に川の中へいくつもいくつも石を投げ込んだものでした。 カッパを追い払うために・・です。 私は母親のついた嘘によって、近所の子どもまでまきぞいにして、 馬鹿な事に付き合わせてしまっていたのです。

まだまだあります。 『お母さんの親ごころ・お父さんの底ぢから・新潮社』に書きましたが、 重ねてここに紹介しておきましょう。

私たち四人兄弟が家の中で遊んでいると、開けっ放しになった窓から、 感電した一羽のハトが瀕死の状態で飛び込んで来ました。 看病しようということになって、箱の中でハトを寝かせ、 タオルをかけて四人で見守っていたその時です。 2本の足がキューッと天に向かって伸びたかと思うと、 そのまんまハトは死んでしまったのです。
「墓を作ってやろう」
四人でそう言っていたところへ、友達がやって来ました。
「ゆーりーちゃん! あーそーぼう」
すると母親は言いました。
「ハトのことは母ちゃんに任せろ。心配せんでいいから遊んで来い!」
そう言われると、さっき会ったばかりのハトですからたいした感情もわかず、 それじゃあ母親に甘えようということになりました。 さて、遊び呆けて帰った夕方。 家の中は今まで嗅いだことのないような香ばしい匂いでいっぱいです。
「母ちゃん、これって何の匂い?」
「おお、おまえたち、いいとこへ帰って来たなあ。まあ、この肉を食べてみい!」
照り焼き風味の何とも言えない巧い味に感動して、再び母親に尋ねました。
「母ちゃん、この肉って、何の肉?」
「ああ、それか・・さっきのハトや・・」
「・・・・・」
私たち四人は放心状態に陥りました。 さっきのハトが、 自分の口の中で木っ端微塵に食いつぶされていることに大きなショックを受けました。 母親は確かに「墓を作る」とは言いませんでした。 任せた以上、何も文句は言わせないぞと言わんばっかりに、 母親は堂々とひとつの間も置かないで言いました。
「あんなあ、ハトはなあ、死ぬ前に何か人の役に立とうとして家へ飛び込んで来たんや。 だからちゃんと食べてやらなアカン! 一つでも残すとハトが成仏できんぞ!」
何の動揺もなく堂々と嘘をつかれると、 子どもはついそうなんだと思ってしまうから不思議です。 私たち子どもがハトの肉を一つ残らずたいらげたのは言うまでもありません。 このように子どもを成長させる上で役に立つ嘘、 つまり【方便の嘘】であれば母親は子どもに向かって平気で嘘を言いました。 それがバレた時は大笑いして終わりです。
「あっはっは! しゃーないが。 おまえ達にまともに言ったって言うこと聞かんのやから、嘘つくしかないんや。 母ちゃんはこう見えてもなかなか心を痛めとるんやぞ!わあっははっ!」
私はそんな母親のおかげで 『人の言葉に安易に影響を受けない』 人間になることが出来ました。 友達に嘘を言ってしまったことを心から反省し 『他人に決して嘘を言わない』 人間になろうと決意できました。 嘘に対して免疫ができましたから、 他人から 『嘘をつかれてもへこたれない』 根性がつきました。 まとめたら【嘘という行為に免疫が出来た】のでした。 なのに結局は、私も自分の母親とちっとも変わらない親になってしまったのです。

『メリハリのある生き方を』

高二の次男は子育ての真っ最中ですが、 今年で二十五歳になった長男についた私の嘘を幾つか紹介してみましょう。 今では野菜も果物もたくさん食べている様子ですが、 幼稚園の頃の長男ときたらまるっきり野菜嫌い。 何とかして身体にいい野菜類を摂らせようと四苦八苦の毎日でした。 よくシイタケを食べないからと言って、 細かく微塵切りにしてハンバーグなどに混ぜる母親がいますが、 そんな方法では全くのごまかしに過ぎませんしシイタケを食べたことにはなりません。 シイタケだと分かって味わってこそ食べたことになるのですから、 堂々と正面切って食べさせなくてはなりません。 そんな時に私の嘘が始まります。
「この青菜はなあ。○○県から空輸されて来て、 名古屋では一日に十束しか手に入らない青菜や。 お母さんはずうっと並んでようやく手に入れたんやから残すなよ。 うまいぞーっ。食べてみろ!」
単純でいとも簡単に引っかかった長男は、 スーパーに山積みにされて売ってあった青菜を食べながら嬉しそうに言いました。
「本当だあっ! この青菜、めっちゃくちゃおいしいよ!」
そして、ペロッと残さずに食べてしまったものでした。 長男は私の嘘のおかげで 『野菜に関しては僕ぐらい贅沢な子どもはいないだろう』 と優越感に浸れたばかりか、好き嫌いのない小学生に育つことができたというわけです。

悪いことをした時は、警察に頼めば牢屋に入れてもらえると嘘をついていましたから、 子どもを騙しては警察の駐車場まで連れて行って車の中で説教が始まります。
「お前みたいな親の言うことを聞かん悪い奴は、今から警察に預かってもらうから、 車から降りよ!」
長男は必死で泣きながら詫びました。
「わーん! ごめんなさい! ちゃんと今日から言うことを聞いていい子になります!」
遠くから呆れ返って眺める警察官を他所に、 何度も何度も警察という機関を活用させてもらったものでした。 私の子育てに世間体などありません。 世間体を気にしているうちは子どもなんて育たないのです。 人は人、自分は自分。人が何と言おうが、私には私のやり方がある。 例えそれが失敗しようがしよまいが、私という親はいつの日も、 自分なりに精一杯子育てしたんだと胸を張って言えます。 世間とは協調しても、流されたり染まったりする必要など全くないし、 そんなくだらない人生を送るなんて真っ平ごめんです。

大きくなった長男は、 親の言うことを聞かなくても牢屋には入れられないと分かって私に言いました。
「僕に何回も嘘ついたでしょう」
そんな時の私は、全く母親と一緒です。 「へえーっ! バレちゃったか! 嘘言ってごめんねーっ! 大人になった時にお前にいい奴になってほしいから嘘ついたんや! お前を思って嘘をついてくれた親をありがたく思え」
おかげさまで長男も親から見て立派な大人になり、 私に向かって冷め冷めと言えるようになりました。
「俺はあなたに嘘をつかれたことで『嘘をつく行為は醜い』と学べた。 あなたの言う方便の嘘も嘘。嘘は全部嘘。俺は誓って人に嘘は言わない!」
「私はおまえの成長を願って、お前に嘘を言っただけで、 人様に向かって言ったことなんて一回もないよ」
「ええっ!じゃあ俺が小学生の時、 おじいちゃんに安物の肉を高い肉だって渡していたのはナニ?」
「ああ、あれは身内だからいいんだよ。 それに美味しく食べてもらいたいと思う、愛のこもった嘘なんだよ!」
長男は呆れ返って言いました。
「俺もう一つ忘れてたわ。『ごまかす人間は最低』ということも親から学べたわ」
私がタバコを吸っていた頃のことです。
「両親そろって酒もタバコもやるのに、何でお前は二つともやらないの?」
本当に不思議な思いで長男に尋ねたのです。すると速やかに答えが返って来ました。
「あなたたち二人の、醜い姿を見過ぎたから・・・」
なるほど、当たっているので返す言葉もありませんでした。 私は自分の親や自分自身を振り返って、 親は少しばかり出来の悪い方がいいのかも知れないと思っています。 あんまり出来のいい親を持つと、 とかく子どもは何かにつけ窮屈なところがあるのではないでしょうか。 それより親が意識レベルだけは高くプライドだけは捨てることなく、 緩めるところは緩めてメリハリのある生活を軽快に送っていたら、 子どももそういった生き方を学ぶことができると思うのです。 親がトンビだと、我が子がトンビになっても納得が行きます。 しかたないと諦めがつきます。 私のようにトンビの上を行くような幼少期を送った親は、 自分と比べたら我が子などはとびっきり優秀な鷹に思えてしまうから 何とも幸せな親でいられます。 子どもの方も、親が自然体で普通でいる自分の成長を心から喜んでくれるのですから、 こんなことくらいで喜ぶかと呆れながらも決して悪い気はしないでしょう。

ところが困ったのは、鷹のような出来のいい親が、 鷹として産み育てたはずの我が子がトンビになってしまった時です。 鷹はトンビの気持ちも育て方も皆目見当がつかず、 いっぺんにお手上げ状態になってしまいます。 下手をすれば親自らが我が子を軽蔑したり白い目でみたりするかも知れません。 今ではこういった優秀なる鷹の家庭に子どもの問題が目立って多くなり、 年々増加の一途をたどっています。 子どもは伸び伸びと生きていたいのに、親自らがそれを許しません。 自らの幼少時代と比較したり、世間体や見栄が先行したり、 自分の夢を無神経に我が子に託したりするような親の下では、 子どもは心の羽根をちっとも伸ばせなくなってしまうのです。 愛し方を全く知らない親を持った子どもは、 不幸な人生を一生送ることになりかねません。

以上です。興味のある人は書店へ行って立ち読みでもしてみてくださいねーっ! 

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