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2017年6月28日を持ちまして、長田寮における不登校・引きこもり児童に対する指導を終了致しました。
それにあたり私が感じたこと、伝えたい事を述べたいと思います。
まず、長田寮における非行、引きこもり、不登校の児童に対する指導を指導責任者として約20年間続け、延べ400人以上の子ども達と直接向き合って来ました。幸いなことに当指導の下で一人の死者も出すことなく今日を迎えられた事は、これ一筋に運が強かっただけと感じております。私自身は長田百合子も含め、全てを誇れるような指導が出来たとは考えていません。ただ、その子を取り巻く環境をどうしたら変えて行けるのか、学ぶことに余念はありませんでしたが、古臭いかもしれませんが体でぶつかっていただけでした。
 私達は現在の不登校や引きこもりに対する方法論について否定をしてきたわけではありません。しかし、私が見てきた事例の中には、現在の方法論が取り返しのつかない事態を招いていた事もありました。引きこもること、不登校になることは場合によっては大切です。歯を食いしばってそのつらい状況に耐え続けるだけが道ではありません。ですので、その空間から離れる決意を持ち実行できたことはむしろ誇るべきです。ただ、その後どうするかは重要です。今の社会の中ではもう、そのままでは駄目だと教えてはもらえないのです。駄目だと言える唯一の存在である家族さえも、カウンセリングによってその口を閉ざされます。カウンセリングの土台となっている心理学では、指図はせずに自ら気付かせることが重要視されているからです。その為、本人が気付かなければ何年でも待つのです、それがたとえ10年後だとしても、家族も本人も、ただ待つしかないのです。
 そして、「不登校、引きこもりの権利」が必要以上に重要視されている為に懸命に生きている「家族や周囲の人達の権利」がないがしろになることは本当に正しいと言えるのでしょうか。なぜ問題を抱えている本人に一生懸命生きてきた家族が当然のことを言えず、時には暴力にさえ何年も耐え続けなければならないのでしょうか。
 人間の社会は複雑に組み合わさった歯車の様に絡み合って成り立っています。それは最小構成の家族でも同様で、子どもの歯車がボロボロになって行っても家族がそれを簡単に修復することは困難です。むしろ、傷付いた歯車と共に回っている内に、家族の歯車もボロボロになっていくのです。状況が悪化した時、その歯車の中でもがいても他の歯車がその回転を阻止ようとして容易には脱落することさえ許されません。
 そんな現実がある中、私達が行ってきた、子どもを親から引き離し、子どものみを預かる行為は、それらの問題を一瞬にして解決する事が出来ました。疲弊した家族も、路頭に迷った本人も、引き離されたことにより一度状況をリセットできるのです。子どもを預かる為にその家に赴いた日は、頓挫してしまっている現実を指摘して「このままこの状況で苦しむより、私達のところに来て一緒に頑張れば必ず笑えるようにすると約束する」と、私達の不退転の決意を伝えてきました。そして当然のことですがそれに納得してもらった上で家を出てもらっていました。問題を抱える本人と家族を引き離すことにより、私達は本人とひたすらに向き合い、どうしたら上手に生きていけるのかをともに考えることが出来、両親にはどうしたら同じ過ちを繰り返さないかを考える時間と普通の生活を送る当たり前の権利を提供することが出来ました。指導体制に入れば本人の懸念材料である学業の遅れも、体力も社会性も短期間で取り戻すことが出来るシステムを有していました。また、この時点で子どもたちは学校に戻らなくてはならないという呪縛から一時的に解放され、引きこもっていた時間に失ってしまい、復学するハードルを高めていた様々な遅れも取り戻すことが出来たわけです。これらの流れとそれを裏付ける成果をもって、一般的なカウンセリングとは手法が違う私達のメンタルケアも一つの解決策であったことは紛れもない事実です。そして、対象となる家族の根本的な苦しみを即座に取り除くという点においては、現在の巷にある手法よりも圧倒的に優れていたと言えます。
 この手法に反対する識者はまるで人さらいの様に声を荒げていましたが、私達は当然のことながらさらったりはしていません。識者であるのならメディアや偏った情報に捕らわれず、己の目と体をもって実情くらいは把握してほしかったと思います。一度もお越しになりませんでしたが正直いつ何時見に来てもらっても自信をもって子どもたちを紹介できました、見たら驚いたことでしょう。
 しかし、家族の負担を瞬時に軽減させることと引き換えに、私達が子どもの将来に対する全ての責任を負うこととなるのです。預かると言う事は当然、私達の責任下にあります。24時間365日、何が起こっても私達が責任を追及されることとなってしまうのです。これこそがこの方法の最大の問題点でした。そして引きこもりや不登校の問題を取り巻く環境でも同じように、カウンセラーも教師も、能動的に行動を起こすことはすなわち、責任を伴うと言う事になります。ならば、何故いち不登校児の為に自分が今日まで懸命に築き上げてきた人生を賭してまで向かい合う必要があるのでしょうか。そんなリスクを負うより適切な誰かに任せて、見捨てていない態度を取るに留める方が自らの保身となるのです、私が学校の担任であればそうします。ですから、現在不登校児を取り巻く社会の対応や考え方は必然的に今日の形に完成して行ったと言えます。
 私達は熱意より責任が台頭する今日の状況下において、これ以上メンタルケアを続けていくことは困難であると判断致しました。以降新規の申し込みはすべてお断りし、現在いる生徒たちに全力を注ぎ、そして先日、すべての生徒の指導を終える運びとなりましたので本日報告の運びとさせて頂いた次第です。

 これを見ている現在閉ざされた状況にある人に伝えられる事があるとするなら、あなたの事を本気で心配しているのはあなたの家族で、真実を言っているのも家族であると言う事です。今日もあなた以外の以前同じ空間にいた人達は、社会のしがらみの中で社会性を身に付け、学び、動いています。すぐにそこに戻れとは言いませんが、ではそれに負けない時間を過ごして下さい。それもせずにただ欲のままに生きているだけなら、あなたは静かに社会から離されていくだけです。誰もがあなたの為に人生を賭す必要などないと思っています、唯一、あなたの家族以外には。


来年の今日、あなたは先に進めていますか?

それともまだ、同じ場所で立ち止まってしまいそうですか?

今のその姿を家族のせいにしないで。

今日までの道を歩んできたのは自分だったでしょう?

もし今うまく進めていないのなら、家族と共に道を探してみて下さい。

あなたの家族はきっと、あなたよりもあなたの第一歩について奔走しているはずです。

あなたが扉を開くことが始まりです。

そうすればあなたの傷付いた歯車も家族の歯車と共に静かに回り始めるはずです。

そしてそれは、きっと昨日よりも実のある一日を届けてくれます。

あとは、がんばりなさい、誰も言ってくれないかもしれないけれど、がんばりなさい。

その頑張りが報われて、心から笑える日が来ることを願います。



2017年6月29日 指導責任者 長田 隆宏


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