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退寮にあたって

期間的には長かった、この寮での生活がもうすぐ終わりになります。退寮の発表をされてから、今になっても、まだ家に帰る実感がわいてきません。家での生活が考えられないです。本当にここの生活は感覚だとすごく短かったけど、期間だと長かったようです。
私がこの寮に来る前は、毎日学校に行かないで好き勝手な生活を送っていました。でもそのくせ、将来のことを考えると不安で不安でしょうがなく、いつも泣いていました。本当にぬけがらのような生活だったと思います。百合子先生が迎えに来てくれた日、話を聞いて、希望の光が見えてきたような気がしました。だから、すぐに行くことに決めたのです。決めたのは良かったけど、その時はまだ腹をくくれなくて、初日は散々でした。あの時はみんなに迷惑をすごくかけてしまって、今でも申しわけなかったなと思っています。初日だけじゃなく、慣れるまでは本当につらかったです。分からないことと、できないことだらけで、何をやってもみんなに迷惑をかけてしまい、毎日「すみません。」の連続でした。その中で、早くみんなの迷惑にならないようにしたくて、自分なりに工夫はしていました。それに、寮のみんながすごく優しかったから、けっこう早く慣れることができたと思います。あと、指導係の泉さんの存在が大きかったです。毎日、毎日、おこられててつらかったけど、それだからがんばれたのだと思います。慣れてからは、一つ一つのことを人に助けを求めないでやれるようになってきました。このころからは、少しでもよゆうができてきて、つらいなかで楽しみとかもでてきました。精神的にも多少、強くなってきたのだと思います。
この寮生活では、なんにでも、必死になって一生懸命やろうとは心がけていて、さぼりが、一番したくないことでした。一生懸命やることは、体力的にきつくても、精神的にはすごく楽です。ここで、自分が特にがんばったことは、レクのリーダーです。
小学校のころから、なにかにつけて、リーダーとかはやっていたから、それはがんばればできることでした。でもやっぱり、木製品もカープラモもやったことがなかったものだから、本当に死ぬ気でやらなかったら、成功させられませんでした。自分でがんばったとは、思うけど周りの人の存在が特に大きかったと思います。まず、木製品では、泉さんの退寮日が近く、それまでに終わらせなければならないという状態でした。本当だったら、一ヶ月の期間を一週間で終わらせました。泉さんがいなかったら、こんなあせることもなかったから、期間に終わらなかったかもしれません。あと、永島さんがチームメンバーじゃなかったら、完成は見られなかったです。作業ができるうえに、積極的に動いてくれました。それから、カープラモでも、隆宏先生と永島さんの存在が大きかったです。隆宏先生のおかげで、作業の工夫をして、自分の気に入る物ができたし、永島さんのおかげで、みんなよりも、完成が早くできました。だから、なんでも、周りの人がいてこそやれたものばかりでした。だから、みんなには本当に感謝しています。
ここでは、いろいろな事を教えてもらい、学んで成長していくことができました。指導員から教えてもらったことで、一番残っているのはやっぱり隆宏先生からのことでした。そして、この訓練の中で一番大切なのは、物事の意味を考えるかということです。意味も分からず、ただ漠然とやることほど、意味のないものはありません。最初、きたばかりのときは、意味も分からずただ言われたからやるというのが、多かったです。何で運動をやるのかとか、なんでレストアをやるのかとかです。前は本当に全てのことを、やらされて、分からないままやっていました。けど今は、もうほとんど全てのことの意味が分かるし、自分のために自分からやれるようにもなりました。これは、いつも隆宏先生がこれの話をしてくれたり、意味を直接教えてくれたからです。それから、個人的に言われていたことで、私の一番の改善点である失敗しても落ち込まない、これは前までよく話してくれました。この寮で生活していれば、おこられることとか失敗なんて、しょっちゅうだからすぐ慣れるだろうといわれていて、前は信じられなかったけど、今じゃへこんでもすぐ立ち直っています。自分でも強くなったなと思っています。
最後に、私はこの寮に入れて本当に良かったと、今では心の底から思えます。先生方はしかってくれたり、ふざけて遊んでくれたり、アドバイスもたくさんくれてうれしかったりし感謝しています。つぶれないで成長できたのは、先生方のおかげだと思います。そして、共同生活での寮生達には、注意してくれたり、されながらともに成長できたのだと思います。あと、寮生活で一番楽しかったのは、みんなで話をすることでした。だから、私はこの寮で自分も努力したけれど、周りの人がいなかったら、強くなんてなれなかったと思います。七ヶ月と言う期間は、毎日毎日が充実していて、不登行を続けていました。そう考えると、こわくてしょうがないです。あの日が、一生を変えることになったのだと思います。百合子先生にも、指導員の先生にも、寮生のみんなにもとても感謝しています。 これから、私は家にもどって学校に行きますが、ここで学んだことを心がけ、自分也に一生懸命やっていこうと思います。学校に行く自信は今ならあります。緊張するけど、勇気をだしてがんばっていきたいです。
宮崎絢香

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