MOKU 2005年4月号 長田百合子の体当たり奮戦記24より

バックナンバー

狂った子ども
昼間は庖丁を振り回し、夜は母親の胸で眠る……

◎ 両親の反省

 小学校四年生の所沢君の両親は、「どうして子どもが不登校になったと思うか」という私の質問に、自らの子育てを振り返って次のようにまとめてくれました。
★父親
@いったんダメと言ったのに、あの手この手で頼んでくるしつこいわが子に負けて、結局いつも要求に応えていた
Aわが子にとって怖い存在ではなく、友達的存在であった
B家族や他人に悪いことをしたとき、けじめをつけて叱りもせず、特に罰も与えなかった
C何事にも細かく手や口をはさむ母親の姿勢を見て、このままでは子どもが萎縮してしまうと思ったが、妻と争うのが嫌で見て見ぬふりをしていた
D「もう叱らないで!」と妻から言われ、善悪をつけるにはまだ中途半端だと思っていても速やかに従っていた
★母親
@子どもの前で他人の批判を平気でしていた
A世間体を大切にして人前でいい子を演じる八方美人だった
B自分の好きでパートに出ていたのに「お母さんがどれだけしんどいと思ってんの!」とカッカしながら子育てや家事をやっていた
C「ローンを早く返せない、働きが悪い」と子どもの前で父親をけなしていた
D自分はさんざん叱るのに、わが子が父親や他人から叱られるのがとても嫌だった
E悪いことをしたから叱ったのに、すぐさま後悔したり食事の世話をやいたりして、ご機嫌を取っていた
Fすべてにおいて中途半端だった
Gわが子に代わって友だちに取られたおもちゃを取り返しにいったり、言えないことを伝えにいったりしていた
H何事に対しても遅くて下手なわが子にイラつき、ほとんど母親が手を出して代行していた
Iテストの点が悪いとか、あのときになぜ友だちを許したのかとか、叱ってはいけないところでさんざん叱り、人に迷惑をかけたり父親に悪い態度を取ったときなど肝心なところで適当な叱り方しかできず、甘かった
J子どもの顔色を窺いながら子どもに最高の環境を常に先回りして整えてしまい、自らの意思で親に要求してくる機会を完全に奪っていた
K子どもの進路については決して譲らないくせに、わが子の要求にすぐさま応じて子育て(信念)を譲りまくっていた
L学校から帰ってきたわが子の野次馬になり、根掘り葉掘り聞き出しては干渉し、クラスメイトや担任の批判を親子でしていた
Mおなかが痛い、頭がボ―ッとする、歩く気になれないと子どもが訴えると心配になって大げさに反応し、熱も計らずに簡単に学校を休ませていた

◎ 専門家の指導が子どもをダメにする

 このような両親の下で育った結果、所沢君は「精神年齢の成長が著しく遅れた」「過保護によって精神が大変ひ弱になった」「過管理と過干渉によって自分自身を失い、完全な指示待ち人間になった」「著しい協調性の欠如」、そして、子どもが親から自立するために必要にして不可欠な「生きるための知恵」と「やる気と活力」が著しく欠如した子どもになってしまったのでした。小学校へ入学すると先生もクラスメイトも年齢相応の自立状態を求めてきましたが、所沢君はそれに応えられず、周囲との協調性に欠けた子どもになっていきました。やがて完全に周囲から浮いて孤立してしまい、母親がいる家庭という最も疲れない環境に自らを逃がしてしまったのです。こうして所沢君の不登校は小学三年生の一学期から始まりました。
「疲れた。明日から学校へ行かない」というわが子に「なぜ?」と尋ねると、体重五十キロの所沢君は容赦なく母親に暴力を振るいました。それを見た父親が「親に向かって何をするんだ!」と戒めて会社へ出かけると、その直後に「あいつ(父親)を黙らせろ」と再び母親に暴力を振るうという繰り返しでした。
 いたたまれなくなった母親が学校を訪ねると「児童相談所へ行ってください」と言われ、担任からの指導は何ひとつ受けられませんでした。翌日、児童相談所に行くと、「疲れているのですから、時間をかけてゆっくり待ってあげなさい。十分に親に甘えさせてあげなさい。刺激はかけてはいけませんよ。すべてを受け入れて母親の愛情で包み込んであげなさい」との指導。これが所沢君のわがままに拍車をかけ、とんでもない子どもをつくりあげていったのです。
「仕事に行くとベランダから飛び降りて死ぬぞ」「家に放火するぞ」との言葉に驚いて学校カウンセラーに相談すれば、「ここで勝たなくては親じゃない」なんて、まともなことは言うはずもなく「一刻も早く仕事を辞めなさい」と指導され、母親は長年勤務した会社をアッサリと退社。専門家の指示に従って毎日べったりと過ごした結果、わがままはますますエスカレートし、母親に絡んではゴネて、挙句の果てに毎日必ず一回は包丁を持って暴れるような子どもに脱落していったのでした。
 ところが昼間はさんざん大暴れする所沢君ですが、夜になると母親に「お膝に抱っこして」と甘えてきます。母親は大きな息子を抱っこしたり、背中に乗せてお馬さんごっこを毎晩のようにしていたといいます。眠るときは甘えた声で「僕のこと好き?」とすり寄ってくるので「好きよ」と子どもを抱きしめ、同じ布団に入ります。そして口癖のように「死にたい」「ベランダから飛び降りたい」と訴える息子に、「お願いだから生きて」と母親は泣きながら頼み込んでいました。なのに翌朝になると人が変わったかのように「おれを無理やり学校へ行かせると、火をつけるか、だれかを必ず殺す」「おれの顔は池田小事件の犯人にそっくりだろ」と豹変する子ども……。なぜこんな理性のかけらもない二重人格のような子どもになってしまったのか。心理学に基づいた専門家の「すべてを受け入れてあげなさい」という指導を素直に実行した母親が一年がかりでつくった結果だったのです。
 問題の子どもに対して昔ながらのまともな考え方で関われば、まともな生活に軌道修正できるに決まっています。しかし、心理学という学問で関わればほとんどが病気扱い。行き着くところ薬に逃げて苦しみをごまかしていくという現実が待ち受けています。だって、所沢君は担任から児童相談所へ回され、児童相談所から大学病院の精神科に回されて「適応障害」という病名がつき、向精神薬が処方されて初めて親が「このままでは子どもがダメになる」と気づいて私の門戸を叩いたのですから。
 所沢家の人間関係は、こうしてハチャメチャな状態に陥っていました。まずは専門家の指導を鵜呑みにしてしまう自信のない親の意識改革がメンタルケアの第一のプロセスです。何事においても中途半端な親の対応が現在をつくったのだから、長田が現地に行くまでのファクス交信中は決して子どもを怒らず、登校刺激も決してかけないこと。意識改革して親としてのまともな感覚を取り戻していくと、わが子にも自分自身にも腹が立ってしかたがなくなるが、怒りをグッと下っ腹に溜め込んで、メンタルケアの日に大爆発するべしと両親に言い聞かせます。母親には「尽くすのなら子どもにではなく旦那に尽くせ。子どもに対しては家事と躾のみで、今までのような過度の手出し口出しは絶対禁止」、父親に対しては「女房や子どもの前でニタニタ笑ったり、ペラペラしゃべったり浮いた態度を取るな! 男は黙ってカッコつけろ」と指導。専門家の指導の下、大きくひん曲がった子育てを当たり前の軌道に戻すまでに徹底したファクス交信による意識改革は数カ月に及びます。所沢君の両親の意識改革は結局四カ月もの期間を要しました。

◎不登校をつくる家庭の共通点

 怠慢な親の下で起こる自業自得の例は除外して、不登校ができる家庭に面白いほど共通する母親の錯覚を挙げてみましょう。
(1)自らが過管理・過保護・過干渉で育てた結果なのに、「小さいときは本当に手のかからないよい子でした」と語る
(2)単なる最上級のわがままなのに、「うちの子はとても頑固な子だ」と少々贔屓目に思い込んでいる
(3)「父親は助けてくれない」と不満を言うが、母親自身が父親に対して聞く耳をもたず、遠ざけてきたにすぎない
(4)母親として、女房としての融通と機転が利かない人が極めて多い
(5)「父親はダメだ」と語るが、子どもの前で父親をちっとも立てずにダメおやじに仕立て上げていただけ
(6)「子どもを怒るのが怖かった」と言うが、わが子と体よく事勿れに付き合って、正面から向き合うことを避けていただけ
(7)自分をいちばん助けてくれているのは夫であるという感謝に欠け、自らの親やわが子のほうに熱意を示す
(8)学校へ行かないのは将来本人にとってかわいそうな結果を招く、のではなく、行かせると本人がかわいそうと思い込んでいる。いわゆる今のことしか考えず、先のことを考えながら今を行動することができない
(9)子どもの幸せは子ども自身の手によってつくるのであって親はつくってあげることはできないと、思っていない
(10)子どもの身は子ども自身が守るのであって親は守ってあげることはできない、と思っていない
(11)親としての役割を夫婦でどう分担するかが大事なのに、表面的な育児分担と家事分担を夫に求めている
 このような親の錯覚をファクス交信で正していくうちに、家族関係はみるみるまともになっていきます。所沢家のファクス交信を打ち切り、メンタルケア実施を決定づけたのは父親の書いた次の作文でした。
『ファクス交信を始めて三カ月半になりました。学校へ行く前に少しでも学力を取り戻しておこうと夫婦で相談して、親が決めただけのドリルを毎日やるよう息子に約束させました。今日、やるにはやったらしいのですが取り掛かりが遅かったため、晩飯抜きということになったようでした。帰宅した私はそれを知り、「おれは今日、昼飯も食べずに働いたのに、おまえはいったいなにをサボっていたのか! 母親のおまえがたるんでいるから、息子までたるんでしまったんだ! おまえが産んだ子なら、おまえがしっかりさせんかい!」と女房に怒鳴りまくりました。すると、横で息子が唇を震わせて泣いているのです。原因が自分にあると思っているからなのでしょうが、息子が人のために涙を流す姿を今晩初めて目にして、親として実に感動しました。先生、おかげさまで父親として家族にどのように対応したらいいのか、やっとわかってきたような気がします』

 所沢君は、数日後から包丁を振り回すことも暴言暴力もやめ、自分のほうから母親に距離を置いて暮らしはじめたのでした。ファクス交信四カ月の間に親の問題の多くが解決され、所沢君は私のメンタルケアによって翌日から登校し、半年たった現在も安定しています。父親が一家の大黒柱に納まり、母親、姉、本人の順番で、家族のタテ関係が安定したからでしょう。
 さて、先日、長田寮(問題をもつ子どもを訓練する機関)の責任者を務める私の長男が、とてつもなく問題が深い三人の寮生に共通点があるといいます。
「三食、どんぶりで何杯もご飯を平らげ、それでも足らないと夜中に起きて、翌朝みんなが食べるご飯を平気で盗み食いする」
「十分睡眠を取っているにもかかわらず、起床直後からアクビを繰り返しコックリコックリする。注意した一分後に平気でコックリしはじめる」
 どれだけ注意しても、この二つを繰り返して直らない者は絶対に問題の根が深いというのです。私のメンタルケアの特効薬は「塩むすび」だと以前紹介しましたが、それは親の管理下だからできることで、預かっている寮生には限界があります。三人の弛んだ精神をどうしたらよいかと悩んでいたところ、岐阜県にある滝修行(プロスポーツ選手の修行で有名)はどうかと長男が提案しました。
 早速二十五名の寮生と外部生三十名で体験してみると、滝に打たれた後、肌は締まって奇麗になるわ、アトピーは引いて何日も落ち着くわ、花粉症の鼻水とくしゃみはおさまるわ、ピンクバッタに少しも引けを取らないほど神秘的で不思議な効力がありました。皆さん! ぜひ、お試しあれ!

トップページへ戻る