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長田百合子より

『 岐路に立つ 』長田百合子 自民党を語る 平成16年1月6日

中日新聞より 自民党っていうのは、無難なんだよ。何だかんだいって一番有名だし、誰に投票したらいいか分からない選挙だったら、とりあえず入れとこうか、っていう政党。自民党の支持基盤っていうのは案外 こんなものじゃないの。ただ、今は無難ていうだけじゃ乗り切れない時代。みんなそれを感じ始めている。
厚労省が一昨年の夏に発表したんだけど、30歳以上の引きこもりが急増している。子どもを大事にしようというところにばかり目がいきすぎて、親が子どもを育てる責任を放棄しているから。いつまでたっても子どもの心のまま体だけ大人になっちゃう。
人間っていうのは弱いもの。つらいことがあれば不登校にもなるし、部屋へ逃げ込みたくもなる。それを、子どもの声だから、と言って認めちゃう。結局、親もその方が楽なんだよ。子どもときちんと向き合うことから逃げている。
近ごろはよく、地域で子どもを育てましょう、なんて言うけど、ひとつ間違うと自分ができないから地域にお願いするという"逃げ"につながる。まず、子育てがちゃんとできる大人を育てなきゃいけない。
女性の社会進出にはもちろん、賛成。子育て支援などはしっかりやってもらいたい。ただ、男女共同参画社会なんていうと耳あたりはいいけど、社会進出の意味を取り違えてるんじゃないかと思う人は多い。
社会に出たときに性差で差別があってはいけない。機会を均等にして、生き方の選択肢を広げようというのが本来の趣旨なのに、社会に出て、男と闘うこと自体に価値があるみたいに考えている人がいる。「仕事がある」と言って、夫婦がお互いに子育ての責任を押し付けあう。子どもは思っているよ。「僕が仕事してって頼んだわけじゃないのに」って。
そういう親ほど何か事件が起きたら、すぐ学校や政治のせいにするんだ。テレビのコメンテーターも家庭より学校の責任を問う。その方が分かりやすいし、視聴率も取れる。そりゃ受けるよ。見ている親たちもその方が考える必要がないし、楽だもん。
戦後、日本はずっと"楽"を追い求めてきた。政府は10年、20年先を見通さず、その場で無難 無難に国づくりをしてきた。その政府ってのがイコール自民党でしょ。まぁ、しょうがないよね。 政権与党っていうのは大衆の人気を気にしなきゃいけないから。
結局、ちょっとの例外を除いて一つの党がずっと政権を担ってきた弊害が出ちゃった。子育てでも 女性の社会進出でも、人気が上がる助成金だとかテクニカルな部分にばかり力を注いで、本質的なところから目を背けてきた。自民党の言うことってのは大抵、聞こえがいい。でも、そんなことばっかり聞いてるうちに、社会の現場はむちゃくちゃになってきた。
小泉さんは今までの自民党の首相と違って国民に我慢を求めて人気を集めた。みんな世の中を良くするためなら苦労も覚悟しようって思い始めている。期待は大きいけど小泉さんが応えられるかどうか危なっかしい。もしだめだったら反動は大きいよ。我慢するだけで何も変わらないんじゃ最悪だから。                                      

 (酒井 和人)

「最近の凶悪事件について一言」

十月に千葉市の墓園駐車場で十六歳の少女が戸籍上の夫らにハンマーで殴り殺された上に火をつけられ、焼死体で発見されるという酷い殺人事件がありました。それを報道するテレビで見ていたら、インタビューを受けた地元の人たちの言葉に、私は耳を疑いました。
「明るくて普通の子だった」と少女と親しかった同級生の女の子。
「挨拶がきちんとできる、とてもしっかりした子でした」と近所のおばちゃん。
十六歳でキャバクラに勤めて結婚していた少女が、どうして普通の子なのでしょうか。まるで馬鹿げています。
私がメンタルケアで素行の悪いヤンキーの情報を集めたいとき、同じような境遇にいる子どもに質問すると、このインタビューとまるっきり同じような結果がでます。「超、いい子だよ!」「まったく普通の子だよ!」。
これとは反対に、それこそ普通の子に同じ質問をすると、「みんなと違った」「相当浮いてた」「迷惑だった」など、続々と本音の意見が出て来ます。
つまり、私にとっては普通の子どもに事情を聞いたほうが得策なことも、テレビ局にとっては問題の被害者と同じ境遇にいる子どもの意見を報道した方が得策なのです。被害者の人権を守ることも少なからずできて、事勿れで体のいい内容にまとまりやすくて都合がいいからです。
こういったテレビ局の姿勢は、多くの視聴者に「凶悪な事件は普通の家庭にも起こり得る」という大きな不安を与えます。
十二月十八日には京都の小学生が四十代の男に刃物で切りつけられるという無残な事件が起こりました。確かに三箇所にあった門の錠が一箇所もかけられていなかったのは、学校のミスかも知れません。
しかし、それ以上に大きな責任を問うべきところは、二十二回にもわたって入退院を繰り返えさせた上、強烈な依存性を持つ向精神薬を大量に与えた患者でありながら、それを十分に分かっていて野放し状態にした精神科医の方なのです。
今の日本のおかしなところは、こんな当たり前のことを見逃して、何でもかんでも学校のせいにするところにあります。
私は学校の先生の肩を持つわけではありません。学校の先生方も、いくら何でももっとしっかりしてほしいです。
ただ、学校に攻撃の矢を向けて、子どもに関するあらゆる問題から責任逃れをしようとする社会や親の風潮を、ここで大きく変えて行かなければ今に教育現場はとんでもないことになりますよ、と言いたいのです。
「一軒の家という単位」で子どもの問題が連鎖して急増しているという現実が、愛知を含む日本の実態なのです。
ところが大変いいことに、健康な心の親と子どもが山のようにいるのも日本の実態なのですから、今のうちに声を大にして親子へ善悪のはっきりした子育ての方法と、それに加えて元気や自信をつけてあげる必要が一日も早く要求されていると思うわけです。
もう、自分の立場だけ守ることに精いっぱいな大人の情けない姿なんか、これ以上見るのはまっぴらごめんです。
子どもは本音で生きています。体のいい、事勿れの意見なんか全部捨てて、子ども達に正々堂々と本音でぶつかって行く正義感のある大人になってもらいたいと切実に思っています。


平成14年11月27日

はじめまして。 私は、不登校、ひきこもり、非行の問題を、相談でもない、癒しでもない、 『解決』する仕事をしています。 不登校やひきこもりをするのはその家の自由だって思っていますから、 社会に出なくてもいいと思っている親子の家には出かけるつもりは全くありません。 嫌われてまで、おせっかいをやくつもりもありません。 求められたら人の何倍も熱いと思うけど、 去るもの追わずの信念です。 私の考え方は、人間も動物も植物も、 生きているものの全ては同一であるというところから始まります。

  • 親となった全ての動物は、我が子を自立させなければならない。
  • 人は人との係わり合いの中で成長して行く。
  • 苦しみを一つ一つ克服して行って初めて大人に近づいて行ける。
  • 家にないものが,学校や社会には山ほどある。

しかし、これはあくまでも私の考え方であって、 正しい考え方であるなどとは決して思ってはいません。 先ほど述べたように、どう生きようが本人の自由だと思っています。 私自身、不登校やひきこもりの経験はありませんが、 中学校の三年間はいじめられ続けて独りぼっちで過ごしていました。 首を吊る真似事をしたり、安全カミソリで手首を切ろうとして切れなかったり、 死ぬことばかり考えていました。 灯油をかぶってマッチまで持ったこともあるけれど、 死ぬ勇気がどうしても出ない馬鹿みたいに弱い人間でした。 母親だけは悲しませたくなかったし、 兄弟の一番上として責任を持って格好良くあるべきだって思ったから、 どうしても死ぬところまでたどり着けませんでした。 心はまるで病気のコンビニ状態のようなもので、過呼吸、赤面症、 強迫神経症などのいくつもの症状を器用に、 順に引き出しては繰り返して苦しんだ三年間でした。 クラス全体で繰り広げられたいじめ。登校時に上靴に履き替えていると、 男子が近づいてきて言いました。

「おまえ、昨日死ねって言ったろう。何で生きてるんだよ。 今から帰って死んで来い!」
ある日は
「お前なんかと結婚する奴なんか絶対おらんぞ!」
「ほんと、ほんと。結婚する奴がおったら、顔が見てみたいわなあ」

登校してすぐさま馬鹿にされる毎日。そのまま何度家に帰りたかったか知れません。 私は自分の中に、自分で作った母親と自分をいつも置いていました。

(いやだあ! もう帰りたいよおっ! だから学校なんか来たくないって言ったじゃないかあっ!)
(大丈夫や! しっかりせい! このまま帰ったらどうなる! 明日からずうっと学校に来れないことを一番知っとるのはオマエやろう!)

実際の母親に叫べたらどれほど楽だったことでしょう。 でも、母親の前で一度でも叫んでしまったら、 叫びつづけることを誰よりも自分が分かっていました。 何も罪のない母親を何で悲しませることが出来るでしょうか。 私はぐっとこらえてふんばって、 母親や家族に向かって絶対に苦しみを言うことはありませんでした。 それは母親がぐっとこらえてふんばって、知らぬ存ぜぬで、 いつも元気で明るく子どもたちに接してくれていたからです。 もしも毎日のように

「どうしたの? 何でそんな苦しい顔をしてるの?何かあったの? お母さんに言ってごらん」

などと質問攻めに遭っていたら、 私は家の中でもいじめられっ子を演ずるしか道はなかったことでしょう。 当然不登校になっていたと思うし、 下手をすると今こうして生きていないかも知れませんでした。

経験から言って、涙が出るうちは大して苦しんではいません。 自分の限界を超えたのではないかと思えるほど苦しみ抜いた時、 人は涙など出なくなってしまうのです。 結果として、母親の元気と明るさとさわやかさがあったおかげで いじめを克服できた私の前に、再び大きな不安が出現しました。高校入学です。 生徒数は中学校の三倍をはるかに超えていました。
「ここでいじめが始まったら、少なくとも中学校の三倍はやられる」
毎日のように人を恐れる感情は、やがてそれを隠そうとする気持ちにつながって、 私は弱い自分を悪い自分にごまかすように非行の道にはしって行きました。 学校は無遅刻、無欠席でも、授業中は寝てばかり。 先生や親にタメ口はきかないけれど、 白い目で見た大人にはすぐさま牙を向けて喰ってかかります。

「なんじゃ、おばはん! ワシに何か文句あるんか!」
「まあ、何て子なの!」
「それはこっちのセリフや!お前こそ何て目なんだよ!」
といった具合。
普通乗用車の無免許運転。シンナーの吸引。タバコ、酒、学習意欲ゼロ。 夜の徘徊は深夜を超えますが、 どれだけ朝になっても学校だけは遅刻も欠席もしません。

【白黒のけじめ】 【義理と人情】 【(喜びの)涙、涙の物語が死ぬほど好き】 【頼まれたら嫌と言えない姉御肌】 【約束したら絶対】 現在の私の性格は、高校時代の二年間によって土台が出来上がったと言って、 何ら過言ではありません。ただ、私のすることは全て尋常ではありませんでした。 シンナーなどは四ヶ月でぴったりやめましたが、 吸うときは一斗缶を買ってきて吸うし、酒などは飲んだら一升くらい平気でした。 万引きをでっかくやり過ぎて高校始まって以来の無期停学にはなるし、 とにかくやたら『飛び抜けた馬鹿』だったので、 当時『百合子って誰や』と県内のワルが至る所から見学に来ていたほどでした。 母親は「このまま行けば、 オマエはきっとヤクザか泥棒になる」 と失望していたほどまともじゃなかったのですが、 何とか人間らしく生きる方法を私に教えてくれたのが現在の私の主人だったのです。 高校二年の終わりごろのことでした。友達は男の子がほとんどで、 それに慣れている分だけ、男の性格を見分けることが得意だった私が、 一目見たとたん『この人だ!』と出会いに感動するほどいい人でした。 とにかく少しでも気にいられようと日々努力して、まず夜の徘徊もぴったりと止め、 溜まり場になっていた私の部屋も自分から出入り禁止と仲間に伝えました。 出会ってからというもの、 同じ高校にいた主人に弁当を毎日持って行くのが楽しみな 普通の女の子に変身してしまったのでした。 (詳しくは講談社刊・親が代われば子どももかわる)

人間には三回チャンスがあると言います。それは、 きっと人との出会いを指しているに違いありません。 私は主人のおかげで五年間の苦しみから立ち直ることが出来ました。 主人は落ちぶれた私を、全く【普通の女の子】として扱ってくれました。 それは私にとって最高の喜びだったし、 感動だった記憶があります。もしも特別扱いされていたら、 今は絶対になかったでしょう。 やがて、私には二人の男の子ができて、一人は 二十五歳、そしてもう一人は高校一年生と立派に育ってくれました。 心から愛した人の子どもを生めた時、 うれしくてうれしくて涙が止まらなかったと記憶しています。
「お前と結婚する奴の顔が見たいわ」
そう言って笑われた中学生の頃からは考えられないほどの幸せが、 今の私にはあります。 主人のおかげで、普通の女の子になれました。自分のことで泣いてばかりいたのに、 人を思って泣くことを知りました。 誰の役にも立てない人間だと決め付けていたのに、主人のために何かしたいと、 他人を思って努力することを知りました。 一生誰にも愛されないと思い込んでいたのに、 他人に愛されるという思いがけない感動を知ることが出来ました。 普通の女性がすることを一通り経験できたのは、主人のおかげです。 母親になれたのも,今の仕事に就けたのも、 みんなみんな主人が一緒に生きてくれたからです。 私は現在、主人との関係に何の不安もありません。 だって、最低だった私を愛してくれた主人なのですから、 ありのままの自分でいつもいてよいわけで、 こんな簡単なことに大きな幸せを感じています。

人は生きている限り、苦しみを避けて通ることはできません。
苦しんでいる時、それにとらわれて落ち込んでしまうのは仕方のないことです。
でも、逃げたらいけません。
苦しみは、大きな幸せに向かって歩き出す第一歩なのです。
歯を食いしばって逃げない人には、その先に必ず小さな幸せが待っています。
いや、信じられないほど大きな幸せが待っているかも知れません。
それを手にしたときのあなたは、 何とも言えないさわやかな充実感で満たされるでしょう。
その上、ひとまわり成長したあなたがいること受けあいです。
逃げた人は、結果として逃げる前よりも苦しむことになってしまいます。
いっときはホッとした気分になれるでしょうが、それはほんの一瞬に過ぎません。
その後は、苦しみが重って、心は荒んでいくばかりです。

私は、日々、子どものいる部屋に通います。 遅い出発など決してありません。私が子どもにして上げられることはたった三つだけ。

  • 余分に生きただけの知恵と、二十六年の経験から得た合理的な生き方を教えてあげること。
  • 口先だけで言うのは嫌いなので、共に行動してあげること。
  • 前を向くきっかけをつくってあげること。

一日でも早く子どもが目標や夢を持てるように力を貸していますが、 歩く道を決めるのは子どもであるべきだと思っていますし、現にそうしています。 問題の子どもを見ていると、まるで若い頃の自分を見ているようです。 その母親を見ていると、私のことで苦しんでいた自分の母親を見ているようです。 私の母親は、五十六歳で亡くなりましたから、幸せにしてあげられませんでした。 だから、彼女たちには私の母親の分まで幸せになってほしいと切実に思います。 何としてでも親子に幸せになってもらいたいの一心で行きますから、 私にはかなり過激な熱意があるでしょう。 私が子どもに言うことは、全て本当のことです。 だって、子どもは本音で生きているのですから、 私だって本音で言うのが筋というものです。 教育者として生きる限り、嘘なんてもっての他というものです。 体裁なんてくだらないことは大嫌い。事なかれ主義なんて、大、大、大嫌いです。 子どもは苦しんでいるだけで、病気なんかではありません。 だから、妙に優しいことを言ったりとか、 かばったりするような失礼なこともしません。普通に接します。 だから、悪いことは悪いって怒るのです。 社会に出たとき、みんなに愛されてほしいから、 私が側にいられるうちに悪いことを叱って直してあげたいのです。 私自身の開いたこのサイトには、何の嘘もありません。 嘘をついて格好をつける気があれば、 はなっからテレビで吠えたりタンカをきったりしません。 私はもうすでに格好の悪いところで生きていますから、見栄や気取りなんて無縁です。 大学教授でもないし、学者でもないし、医者でもないし,学校の先生でもない、 ただのおばさん。

講演でも「私は教育の土木建築です」なんて声を張り上げて、 現場で生きる自分を誇らしく訴えるほど、 ありのままの自分を動かさない個性の強い人間です。 だから、私からは高尚な知識など少しだって出てきません。 勉強なんか、だいたいやる気もないし。 けれど仮に心理学のトップに君臨するほど知識が豊富な精神科の医師がいたとしても、 ヤンキーと話せるのかなあと思うと大いに疑問だったりするわけで、、、。 そこんどこいくと、私なんかは自分の人生そのものが教科書だし、 問題の子どもたちと千人なんて軽く付き合っている。 学習塾に通う問題のない生徒なら、 二百八十軒以上の教室で山ほど付き合ってきましたから、 そこらへんのおばさんよりは子どもと接しているだろうという自信はあります。 だから、ここだけの秘密だけど、私が子どもたちの前で偉そうに言っている言葉は、 そのほとんどが子どもたちから【盗んだ】ことばかりなんです。 だから、子どもに対する説得力は相当あるはずなんです、、ハイ、、、。

 では、このへんで。
このあとに続く文章は、 伊藤君という大学に通う青年の力を借りて打ち込んでもらっています。 そのうちインターネットの扱い方を覚えたら、 日記みたいに少しずつ書き入れていきたいとは思っています。

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